食品安全情報blog過去記事

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おばあさんのこと

コメントありがとうございます。

8月2日死亡、8月4日に火葬だったのですが、家族から聞いた火葬場の様子は予想以上に効率的に次々と処理されているようでした。以前からそうだったのか、最近そうなったのかはわかりませんが、死亡した日が3月11日の方がまだ焼かれているというのが石巻の現実なのです。享年94才の祖母の葬祭は、親族にとってはずいぶん前から覚悟はできているしそれほど悲痛なものではないのですが、急いでほしいという要望を出す人がいなかったのであろう遺影すらない震災の犠牲者については痛ましい限りです。

祖母は私の記憶がある時には既に「腰の曲がったおばあさん」でした。とにかく穏やかな人で、自己主張や愚痴すらほとんど聞いたことが無いので、どんな人生だったのか、どんな思いを抱えていたのかわからないのです。その地方ではそれなりの名家に生まれ、小作農ではなく土地持ちの農家の長男の嫁として迎えられたわけですが、子どもができなかったので年の離れた弟夫婦(私の両親)と養子縁組しています。10年ほど前に先だった祖父はいかにも家長という性格で、近所の人のことも昔小作人だったくせに生意気だ、農地解放で土地をとられて悔しいみたいなことを良く言っていたのに対して、祖母は全くそういうところはありませんでした。毎朝ご先祖様にごはんをお供えして、男の人には従うのが当然という感じで、いつも曲がった体でちょこまか動いていました。田んぼ仕事をしている人たちのために小麦粉を溶いて焼いたクレープ状の生地にあんこをはさんだおやつをよく作っていたことと、鶏を捌いていたのを覚えています。晩年は猫のために七輪で魚を焼いていました。
生意気な孫(私のこと)が悪口言っても怒ることはなく、逆に泣いてしまうような人でした。周囲の人には何気に孫自慢をしていたようなのですが、その内容が間違っていて、私は東北大学薬学部の卒業なのですが、いつも東北薬科大学を出たのだと言っていたそうです。(そんなお金はうちにはないのですが。)
都会っ子の私の子どもが小さい時は、おばあさんを見て怖がったものです。腰の曲がったおばあさんなんて都会では見ることはないですし、祖母は本当に体が二つに折れているような曲がり方で、斜視で、ガリガリの骨だけのような手で、耳が遠いものだから一方的に聞き取るのも難しい東北弁でなにか言いながらお小遣いをあげようと近づいてくるのですから。

年をとったら腰が曲がるのが当然だと思い、女三界に家なしを自然に受け入れていた最後の世代だったのだろうと思います。ちなみに祖父は腰が曲がってはいませんでした。詳しいことはよくわかりませんが、男の人は家に帰ればそれなりに休めますが、女性は常に働きづめだったこと(私の小さい頃の家は茅葺屋根土間で、籾でご飯を炊き、薪でお風呂を沸かし、かまどで料理してました。囲炉裏もあったし)と、食事も男性と女子供は別で男の人だけお魚などを一皿余計に食べる、という習慣のせいかもしれません。女性の方が骨が細いせいかもしれません。とにかく腰が曲がるのはおじいさんよりおばあさんが多かったように思います。

昭和の時代に稲作の機械化が進んだおかげで母の世代はほとんど腰が曲がっているひとはいなくなりました。それでも生きることは働くこと、つまり身体をすり減らすことであったことには変わりはないのですが。

戦争体験のような劇的な語り継ぐべきとされることがらもなく、公害で身体を痛めたというような記録に残されるようなことでもなく、ただ生きるということが身体をすり減らすことと同じ意味だった時代の平凡な人生を、少しだけここに記しておこうと思いました。