食品安全情報blog過去記事

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読書感想文など

東日本大震災から4年が経ちました。
調査の一環として震災後の食品リスクに関連する書籍を何冊か調査してきていますが、さすがに最近は放射能便乗本が新しく出ることもあまりなくなってきていて、震災以前からあった○○は怖い系の一種として地位が固まってきた(?)ようです。
初期のパニック状態から抜け出して、改めて勉強しようという人向けの本として

知ろうとすること。 (新潮文庫)

知ろうとすること。 (新潮文庫)


があります。
「知ろうとすること。」は寄贈本なので感想を書かねばと思いつつなかなかできずにいました。
たまたま続けて読んだ「いちから聞きたい放射線のほんとう」にひっかかってしまって。

どちらも良い本で、オススメできます。
ただ「いちから聞きたい放射線のほんとう」の小峰さんの「私が考えるリスク」というタイトルの後書きに、「家で食べる野菜は子供が生まれてからずっと宅配の無・低農薬野菜です」「ニンニクは中国産が安いので青森産と迷います。農薬のことを考えても安い中国産にすることもあるし青森産を買うこともある」と書いてあって、放射線のことは必要だと思ったから一生懸命勉強しようとした、けれど無農薬がいい、国産がいい、という先入観には関係ないんだなと思ったのです。
「知ろうとすること」のテーマもそうなのですが、関心をもって勉強するというのは結構難しく、その知識を本当に自分のものにして生かすのはもっと難しい。

私は放射線に関する簡単な知識のアンケート調査もしているのですが、被災地から離れたところでは関心は薄く知識も適当なまま、時間が経過するにつれてさらに知ろうという意欲もなくなっていくようです。
結果として、放射能も農薬も食品添加物も、ちゃんと調べたり勉強したことはないけれどとにかく悪いものなのだから避けた方がいいもの、というイメージで固定されて、ベクレルフリーだとか無添加だとか国産だとかいうマーケティング用語に踊らされることになる。別に確固とした信念があって避けているわけではないけれど並んでいたらなんとなくそっちを選ぶかな〜といった程度の人がほとんどであっても、市場は根拠のない「無農薬」「無添加」といった類の商品が並ぶことに寄与するわけです。
福島県産商品の風評被害と言われるものも、強い意思をもって福島産を避けようという人たちだけなら被害というほどのものにはならないのですが、ほんの少しの、なんとなくといったネガティブな言葉や行動が積み重なって全体に影響が出る。だからその「雰囲気」に逆らうには強い意思をもって福島県産商品に何の問題もない、と言わなければならない。そういう断言はしっかり知った上でないと出てきません。

放射能リスクについては放射線科のお医者さんや発がん物質の研究者があまり動じないのは当然として、早野先生がしっかりしておられたのを少々不思議に思っていました。本来熟知しているはずの某専門家の「涙の記者会見」とはずいぶん違う、と。それがご自身の体験に根ざしていることが「知ろうとすること。」には書いてあったので納得しました。
結局知識を得る、ことと「腑に落ちる」「納得する」「本当の意味で理解する」ということは別なのです。
食品のリスクコミュニケーションに関わっていて、難しいと思うのはそこです。
私達にできるのは、知識が必要だと思っている人に知識を提供するところがせいぜいで、その知識を自分のものにして納得し生活に生かすかどうかは結局のところ本人次第です。
食べものなんて生きるのに必要なものだから当事者ではない人なんていない、にも関わらず、他人事なことが多いです。
誰か他の人が食品の安全性を確保するべき、と思っているかのようです。

これは消費者だけの話ではなくて、農薬業界の人が食品添加物をよくわからないからと疑っていたり、食品添加物業界の人が輸入品はだめと思っていたりと組み合わせはいろいろです。
放射能についても、不健康な食生活によるリスクのほうが大きいという話に食品添加物に発がん性があるなんていう間違った主張を混ぜられたりしていました。
農薬業界の人からは子供が学校の先生に農薬業界に勤務している親は悪いやつであるという言い方をされたとか子供が親の職業が農薬を作ることだと知ってショックを受けていたとかいう話を聞いたことがあります。この手の誤解はこれまでもあったしこれからもあるでしょう。ただできれば何らかの当事者になって根拠のない悪口を言われて悲しい思いをしたことがあるのならば、他の同じような立場についても想像を巡らせて欲しいです。
あらゆることについて正しく知る、というのは難しいですが「知ろうとして」欲しいし「なんとなく」を根拠に行動するのは止めてほしいです。