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不明の毒物 英国(第二報):(イングランド)神経剤

Undiagnosed toxic agent - UK (02): (England) nerve agent
2018-03-14
http://www.promedmail.org/post/5686938
[1]Date: 13 Mar 2018 Source: BBC [edited]
もとスパイのSergei Skripalとその娘を中毒にしたのはロシアで開発された軍用グレードの神経剤である、とTheresa May首相が議会で語った。
May首相は「ロシアによる我が国への直接攻撃か、あるいはロシア政府がコントロールを失って他人の手に渡ったかであろう」という。彼女は外務長官を介してモスクワの大使にノビチョク計画についての化学兵器禁止条約国際機関への「完全な情報開示」をすべきと語った。(略)
[2]Date: 13 Mar 2018 Source: BBC [edited]
ノビチョクとはロシア語で「新参者」の意味で1970年代から80年代にソ連により開発された一連の先進的神経剤である。それらは第四世代化学兵器と呼ばれ、ソ連のコードネーム"Foliant"計画で開発された。
1999年に米国の防衛当局者がウズベキスタンに行き旧ソ連最大の化学兵器試験施設の取り壊しと徐染を手伝った。退役軍人高官によるとソビエトはこの工場で少量のノビチョクを作って試験していた。これらの神経剤は国際査察で検出できないようにデザインされていた。それらは他の剤より毒性が高く、A-230と呼ばれるものはVX神経剤の5-8倍強いとされる。A-230の無数の変種が製造された。これらの実験的化合物のうちの他の一つであるA-232はロシア軍によってNovichok-5として知られる化学兵器のもとになったとされる。
これらの剤が作られた理由の一つは、その成分が禁止リストに載っていないからである。つまり目的の化合物は作るために混合されるので、運ぶのが容易で運び人の健康リスクにならない。一部のものは即効性で30秒や2分のオーダーである。
編集者からの解説有り
1930年代初期ドイツの化学者が有機リン化合物の毒性を観察した。1934年にGerhard Schrader博士が殺虫剤の開発を始め2年後に極めて毒性の高いリン化合物を初めて作った。その名はタブンで後に神経剤と呼ばれる。化学兵器工場が造られ1942-45の間に合計12000トンのタブンが作られた。戦争末期に同盟国が大量の神経剤を押収した。終戦までにSchraderらは約2000の新しい有機リン化合物を作り、その中にはサリンもあった。この「古典的」神経剤の三番目のものであるソマンは1944年に最初に作られた。これら3剤はアメリカ式の命名でG剤と呼ばれる。
戦後神経剤のメカニズムについての研究が集中的に行われた。効果的防護策を探るためである。しかしこうした研究で防護の向上だけではなく新しいタイプの神経剤も生まれた。
1950年代半ばまでにより安定な神経剤が開発された。アメリカ式にV剤と呼ばれる。これらはサリンより10倍ほど強力である。ノビチョクはこれらより毒性が高いと信じられている。
(以下略)