食品安全情報blog過去記事

はてなダイアリーにあった食品安全情報blogを移行したものです

NTP-CERHRのビスフェノールA報告書について

Expert Panel Report on Bisphenol A
http://cerhr.niehs.nih.gov/chemicals/bisphenol/BPAFinalEPVF112607.pdf
この報告書が面白いので少し詳しく紹介。


先に出たEFSAの評価を見てみる。
29/01/2007
Opinion of the Scientific Panel on food additives, flavourings, processing aids and materials in contact with food (AFC) related to 2,2-BIS(4-HYDROXYPHENYL)PROPANE
http://www.efsa.europa.eu/EFSA/efsa_locale-1178620753812_1178620772817.htm
この評価はリスクアセスメントの手順通りに化学的性質・暴露量推定・毒性評価(ADME・変異原性・発がん性・発生生殖毒性など)を行ったもので言わば正道を行くもの。
その結果として、論理的にビスフェノールAのTDIを設定した。先に低用量影響があるかもしれないという理由で儲けられていた余分の不確実係数を合理的に排除できる証拠が得られたとして低用量影響を否定した。引用されている223論文中66が日本からのもの。約30%。


一方NTP-CERHRのビスフェノールA報告書は、ビスフェノールAの低用量影響についての論文を一つ一つ吟味し、その論文のリスク評価への有用性を判定しているところが特徴的である。特に問題になっているのはヒトの発達や生殖への影響なので、その点についての研究を集中的に精査している。驚くべきことに、日本語の文献を英語に訳して評価対象にしているものがある。
そこで評価対象になった論文について少し詳しく見てみる。
まずビスフェノールAのヒトへの影響について知りたいのであるから、ヒトでの研究と実験動物での研究のうちヒトに当てはめることが可能なもののみを取り出した。つまり無脊椎動物や魚での研究はヒトへの外挿が困難であるため評価には使えない。
論文を一つ一つ検討して、ヒト健康影響評価に有用であるもの(○)、一部使えるもの(△)、使えないもの(×)の三つに分類している。そして○の論文と△の論文を使って出した結論が、低用量影響は証明されていない、ということである。
論文の内訳は以下のようになった。
発生毒性の項目では
合計論文数 128
○ 21
△ 22
× 85
つまり使えないと判断された論文が66%になる。
さらにこの128報中日本の研究が53報あり、41%も占める。日本がどれだけこの分野に力を入れていたかが伺われる。
しかしながらその日本の論文の内訳は
○ 3
△ 11
× 39
で、評価に使えないものの割合が73.5%にもなっている。
生殖毒性の項目では、
合計論文数 46
○ 13
△ 16
× 17
で、日本人のものについては全部で21、
○ 6
△ 8
× 7
であった。
この項目(生殖毒性)について特徴的なのは、○だったのは全て毒性試験を常に行っている機関で、×は全て大学発の論文であるということである。発生毒性についてもその傾向は見られていて、化学物質の安全性試験を業務として行っている機関のデータは評価に使える場合が多く、大学や安全性試験に慣れていない機関のデータは多くが不適切と判断されている。
これはある意味当然であって、動物を使った実験において考慮しなければならない事項を押さえていなければ、いくら実験しても科学的知見が深まることはないのである。残念ながら日本の状況は、「環境ホルモン研究費バブル」でこの分野の研究に参入してきた人たちが多かったため、動物実験の基礎がないまま実験をしていた、ということになる。そういう研究でも何か新しければ論文にするのは可能で、そういう論文でも通用するのが大学という組織なのであろう(当然そういうデータでは製品の安全性審査があるようなものは認可してもらえない)。本来の疑問であるヒトへの影響はどうなのか、ということに真正面から取り組んで問題を解決しようとしていた人はどれだけいたのか。


実は上記の論文の中に私の名前が共著で入っているものが2報ある。判定は△と×。当時実験に関わった人は誰も残っていない。当時の状況は、政治的要請により、とにかく何かデータを出せ、というものだった。
ビスフェノールAについては低用量影響が主な問題になっていたため、もともと実験は困難であった。制御すべきパラメーターが微弱なエストロゲン作用に影響されるものということで、動物のケージや床敷きや給水瓶や餌の組成を十分考えなければならなかった。さらにもともと正常範囲の個体差が大きい項目で、微細な差を見つけようとすればそれなりに実験動物の数も実験手技の正確さも必要になる。しかし最大の問題は何が問題なのかがわからなかったことだ。ヒトで何らかの症例が報告されたわけではなく、動物で明確な毒性が報告されていたわけでもない。ホルモン作用にしてもどうしても大豆などの普通の食品の方が影響が大きい。
巷で可能性があるとされていた「有害作用」というものがまた精子の数とか生殖器の大きさとかいったような微妙なものだった。男の子が優しかったり女の子が勇ましかったりしたとして、それが何故いけないことなのかと常に思っていた私にはこのテーマは最悪だった。貧乳だろうと巨乳だろうと子どもを育てるのにあまり関係ないことは親なら知っているのでないだろうか?実験用のネズミさんたちは普通ほぼ一生雄のみ雌のみで飼育されているけれど、それは自然界ではむしろ異常事態なのにそんな条件で人間の何がわかるんだろう?疑問は限りなく涌いてきた。
安全性試験はルーチンワークが多くて面白くないとよく言われる。しかしたとえ単純作業であっても、必要なデータを出して世の中の役に立つことをしているのだから、やりがいがないわけではない。一方「環境ホルモン研究」は、謎を解明していく醍醐味がないだけではなく、世の中の役に立っているかどうかも怪しいものだった。影響が検出されなかったというデータはいくら出しても報道されることはなかった。一方で怪しい感じの「影響がある」というデータにはすぐにメディアが飛びついた。研究者自身も「可能性がある」という誰にも責められずにすむ魔法の言葉を使っていれば良心の呵責も感じにくいし研究費もつきやすかった。
環境ホルモン問題は終わっていない」という文章をどこかで見た。それはそうだろう、と思う。始まってもいないのに終わりなどあるわけがない。
環境ホルモン問題」とは、通常の化学物質の安全性評価ではとらえることのできない特殊な問題(端的には低用量影響)がある、という主張である。現時点でもそれは確認されていない。報告されているほとんどのものは「通常の化学物質の毒性」である。これについては、ホルモン作用があるものもそうでないものも、今までの積み重ねの上に粛々と研究を続けるのみであるし、実際そうなっている。
もし「低用量影響」が確認されたら、そこからが本当の「環境ホルモン問題の始まり」なのだけれど。