食品安全情報blog過去記事

はてなダイアリーにあった食品安全情報blogを移行したものです

昔は高価な食べ物を売る「専門店」別にあったねえ

食品安全政策課 2012.01.26
http://www.kfda.go.kr/index.kfda?mid=56&pageNo=3&seq=16949&cmd=v
食品衛生法制定 50周年による食品安全変遷史紹介 -
食品医薬品安全庁は「食品衛生法」制定 50周年を迎えて半世紀を回顧し食品安全変遷史を紹介する。
食品衛生法は 1900年代からさまざまな規則などで存在した食品関連衛生法規群を統合して1962年1月 20日制定された。当時はひもじさを解決することができなかった '春の端境期' 時代だったのにもかかわらず食品の基準・規格、有害食品販売禁止など今日の「食品衛生法」の根幹になる主要内容が既に含まれていたという点は注目するに値する。おもちゃに有害色素を使うことができないようにする規定も含んでいて諸外国の食糧援助に寄り掛かっていた時代にも子供の安全を重要視していたことをうかがうことができる。
□ 食糧自給が切実だった 1970年代は「粉を食べよう汎国民運動」が展開され'76年に「米ない日を守ろう」条項が新設された。当時飲食店では午前 11時から午後 5時まで週 5回以上米飯を売ることができず、雑穀を20〜30% 以上交ぜなければならなかった。その後政府の積極的な努力で食糧自給が可能になり、このような政策は時代の裏街道に消えた。
'75年には高価な専門食べ物だけ売る「専門飲食店」という業種が新設されて'85年に大衆飲食店に統合された。「専門飲食店」は多くがホテルなどで韓定食、ロースト焼き物などを売った店で一般庶民が食べる物と差別化して管理された。
※ 当時大衆飲食店のジャージャーメンが最高 350ウォン、専門飲食店韓定食 : 最高 2,500ウォンだった。 また, 経済成長とともに食品業界の新製品発売が盛んになり'70年〈政府が安全と品質を保証する 'SF(Superior Food) 食品' 認証制度が導入されたが実効性がなくて1980年には廃止された。
'86年 アジア大会, '88年 ソウルオリンピックなど国際行事を開催しながら韓国の食品安全水準が目立って高くなった。
'87年には飲食店で客が料理場の衛生状態を確認することができるような構造に施設基準が強化され、スプーンや箸などを消毒して衛生的に使うようにするなど営業者遵守事項が新設された。食品製造業の施設基準と罰則が強化されて, 健康補助食品の嚆矢となる「栄養食品製造業」が登場して食品に栄養成分を調節して作った嬰・乳児及び病弱者用食品を生産するようになったのもこの時期である。
1990年には遺伝子組換え食品が登場し、多様な健康機能食品が開発されるようになったため安全性と機能性を評価する制度が導入された。
'95年〈より安全な食品製造基盤を構築しようと HACCP(危害要素重点管理基準) 制度を取り入れるための法的根拠が用意された。また食品衛生法制定以後ずっと遊興従事者に管理されていた歌手、楽士、 舞踊家が '99年になってからその対象から除かれた
'98年〈食品安全専門機関である食品医薬品安全庁が 776人の人員で出帆し食品安全行政の専門性を進めるきっかけになった.
2000年食品の安全性に対する国民の関心が高くなり食品安全政策が営業者から消費者主導に転換された。消費者の知る権利を強化するために栄養表示制度、危害食品公表及び回収制度が導入され、市民食品監視制度、消費者食品衛生監視員制度など多様な消費者参加政策が用意された
'09年〈不正・不良食品の製造・加工・輸入または販売等で不当に経済的利得を得た営業者の利得金を課徴金に還元する「不当利得還収制」が導入された
2010年食品の安全性を強化するため食品製造加工業社の新規営業要件が申告制から登録制に転換され、国内・外危害憂慮食品に対しては該当の営業者が食品衛生検査機関で安全性に対する検査をあらかじめ実施するようにする「検査命令制」が導入された。
食品医薬品安全庁は '62. 1. 20日 47条文から始まった食品衛生法が国民の食品安全に対する欲求を満たそうと質的・量的改編を行い現在の 102条文まで発展したこと、国民皆がいつでもどこでも安心して食品を選択して消費できるように最善をつくすと述べた。