食品安全情報blog過去記事

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サッカリン(SweetN Low)の真相, 30年

SweetN' Lowdown, Thirty Years On (from TCSDaily.com)
Elizabeth M. Whelan, Sc.D., M.P.H.
March 9, 2007
http://www.acsh.org/factsfears/newsID.936/news_detail.asp
30年前−1977年3月9日−、FDAは当時唯一の人工甘味料だったサッカリンを禁止する意向を発表した。この禁止はサッカリンがラットの膀胱がんを誘発する可能性を示唆したカナダの研究によるもので、実験動物で発ガン性のある添加物の使用を禁じたいわゆる「デラニー条項」の指示に従ったものである。
長年多くの食品中の化学物質が発ガン性があると騒がれてきた。1959年のクランベリー騒動、1979年の赤色二号騒動、1989年のalar騒動などである。しかしサッカリンの騒動と禁止の提案は独特で、前代未聞の結果をもたらした。
サッカリンは1879年に最初に合成された砂糖の300倍の甘さを持つ結晶で、1908年にFDA長官であるHarvey W. Wileyが安全性に懸念を抱いていると発表して最初のトラブルに巻き込まれた。噛みタバコにサッカリンを混ぜて愛用していたセオドア・ルーズベルト大統領がこれに怒って「サッカリンが健康に有害だなどと考えるやつは大馬鹿者だ」と宣言した。
サッカリンは米国で販売された最初の人工甘味料で、1977年に禁止されるまで数十年間商業的に生産されていた。FDAによる禁止につながったカナダの研究は、サッカリンを与えたラットのうち14匹に膀胱ガンができ、対照群では2匹にできたというものであった。投与したサッカリンの量はヒトに換算して1日800本のダイエットソーダに相当する量であった。
長年にわたり、齧歯類でガンができたという報道がなされ消費者は恐怖を感じてそういう報道がされたものの禁止を支持した。1959年の感謝祭にはクランベリーを、1979年にはマラスキーノチェリーを、1989年にはリンゴを捨てた。
しかしサッカリンについては事態は違っていた。サッカリン廃止の提案に対する一般の反応は圧倒的に反対であった。消費者は最初販売されていたサッカリンを買い占めた(著者は3月9日の夜店に行ったらSweet'N Lowは一つも残っていなかった)。糖尿病患者は議会に禁止を覆すようロビー活動を行い、多くの体重が気になる人々が加わった。1977年に議会はサッカリンに関するたくさんの郵便を受け取った。一般からの圧力により議会は禁止を一時停止し、その代わりにサッカリンへの警告表示を要求した。一時停止は何年も続いた。最終的に2000年に議会はサッカリンに警告表示廃止を評決した。
何故アメリカ人は齧歯類で発ガン性があるとされたある種の化学物質−例えばAlar−については大騒ぎし、別の物質については政府が禁止しようとしたら反対したのか?
答えは、人々は自分では使わない農薬などの余りよく知らないものについては恐れ、よく知っているものについては恐れないということである。1977年3月のアメリカ人の多くは低カロリー食品・飲料の選択肢を持つことの方を選んだのである。
30年前のサッカリンほぼ禁止から学ぶことは何か?
a) 高用量での齧歯類での発ガンデータからヒトガンリスクを正確に予想することはできない。サッカリンはヒト発ガンリスクはない。
b) 「発ガン物質」という警告からパニックになるのは科学的根拠に基づくというより感情的なものである。消費者は毎日使っているようなものより、見えない・なじみのないものに恐怖を感じやすい
c) 化学物質の不合理な使用禁止は非生産的で高くつく